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2012年に訪れた ベトナム ホーチミン ハノイの旅行記です 現地の人々 生活を写真と 文章で綴ります
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1989年 大量のボートピープルが西日本各地に


次から次へと漂着した

当時マスコミでも大きなニュースとして頻繁に取り上げられた



地図の中央右横の赤い長細いのがベトナム
(この写真はハノイの博物館で撮ったそうです)

日本までは直線距離でおよそ3500キロ


この距離を前回の記事に書いたように命がけで

ボートに乗って渡ってきた







某国営放送に勤めていた友達から ボートピープルの

通訳として取材同行を求められた同居人



「で 行ったの? 」 と聞くと

「メンドクサかったから 行かなかったの」 と。


その代りに ベトナム語学科の後輩の学生を同居人が紹介し

彼が実際に某国営放送のディレクターと一緒に

西日本各地に通訳として取材に行きました







おそらく ディレクターは 


ベトナムのどこからどれくらいかけてやってきたのか

ベトナムでは何をしていたのか

日本では何をしたいのか  などなど


を聴きたかったはず


テレビの取材ということで 

かなり内容の濃い話が聞けただろうと思い


後々 ベトナム研究第一人者であり 同居人の恩師である

冨田健次先生にその様子を聴きに行ったところ



「まったくベトナム語が通じなかった  」



と 肩を落として帰ってきたらしい。


通訳として行った彼はそこそこベトナム語が話せる

なのにベトナム語が 「全く通じなかった」 とは。


その時に頭に浮かんだ理由としては




ベトナム語にも方言があるので 地方出身者が多かった とか

少数民族でそもそもベトナム語を話さない とか
(ほんとにそういう人がいるそうです)




しかし 前記事にも書いたように難民はインテリや富裕層が多い

なので たとえ北の標準語であったとしても

ベトナム語が通じない訳がない (難民=旧南ベトナム)



おかしいおかしいと思い続け ようやく

あとでニュースで分かったことだが

この大量の難民たち 

実は全員








ベトナム人のフリをした中国人の偽装難民だった。
(中国人は難民扱いされないため)


確かに ↑ 黄色人種でベトナムの三角笠をかぶっていたら

誰でもベトナム人に見えるかな。


でもなんで 一言もベトナム語を話さない時点で
「この人たちはベトナム人じゃない 」って後輩ちゃん
気づかなかったのかな?


おしまい


1986年 3月 ベトナム

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西日本に大量のベトナム難民が次々と漂着した1989年



その時に使った船は おそらく↓この写真の左下に写っているような

木製のボート 

これに乗れるだけ乗ってやってくる難民たち







この旅行記は同居人が1986年にベトナムに行った時のものですが

その数年前 ベトナム研究第一人者であり 同居人の恩師である

冨田健次から当時学生だった同居人が

鉄工所で働いているベトナム難民の通訳を
頼まれました


ベトナム人と日本人の意志疎通の橋渡しをしてほしいと。







その鉄工所には6人位のベトナム難民が実際に働いておられました


その時に実際の難民から聞いた話


ベトナムを出て 無事に日本に到着できるのは一部の人のみ

冬は寒くて海には出れない

となると 脱出時期は夏

この時期の東シナ海は台風が通過する時期と重なります


その台風に巻き込まれ 命を落とす人


日本を目指したものの 違う場所に到着してしまった船


船が無事にたどり着いたとしても おそらく病気や餓死で

すでに命を落としている人


脱出するときに ベトナムの軍や警察に見つかって

射殺される人



まさに命がけの脱出


余談ですが当時 姫路に難民センターがあり 日本に漂着した難民は
そこで日本語の研修を半年くらい受けて 就職先を探します
難民とはいえ 祖国ではいわゆる「インテリ」や「富裕層」
脱出するときに大金が必要になるので 難民=ほぼお金持ち
そういう彼らの所にくる求人は ほぼ単純労働
アメリカンドリームを夢見て日本にやってきた彼らのイメージとは
大きなズレがあったはず。



そんな話を実際のベトナム難民から聞いた数年後の1989年に

次から次へと大量のベトナム難民が日本にやってきました








そして そのベトナム難民 いわゆる「ボートピープル」の通訳を
(ボートピープル=旧南ベトナムからボートで逃げてきた人たち)

日本の某国営放送に勤める友達に依頼された同居人


長くなるので続く。




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ホーチミンからダラットへの移動休憩中に

出会ったベトナム人の男の子

カメラが珍しいので 写真をもらえるわけでもないのに

みんな 「撮って 撮って!!!」って言ってくる

で カメラを向けると







とっても素敵な笑顔

ベトナム人と日本人って ちょっとだけ雰囲気が似ている

実際 2012年に飛行機で移動していたときも

ベトナム人だと思って 声をかけた人ら

日本人だったり・・・


↑  似ているけど この子は これぞベトナム人のお顔


これぞベトナム人顔=目じりが細い そして面長

体型も みんなほっそりしている


で ↓  この女の子も可愛い笑顔だね~


って言ったら








恥ずかしがっていたのに

追いかけて撮ったそう(-"-)

でも この子のお顔って ちょっとベトナム人っぽくない。


反対に ベトナム人が 「この人は日本人だ」 と

見分ける方法を 当時のベトナム人のガイドさんに聞いたところ


時計と メガネ


と言いました


ベトナム人は あまり時計をしない

そして 上等そうなメガネ


この二つで判断するそう。







で 決定的な違いは  


サンダル


暑いので どこへ行くのもサンダル


サンダルラブのお国。


↑  この写真に写っているベトナム人たちの足を見ると


やっぱり サンダル。


道がガタガタなのに サンダル履き。




では さっき書いた ベトナム人の見分け方に

↓ この人たちを当てはめてみると・・・











とってもお上品な服 そして

丸顔の人まで。


かれこれ30年近く ずっとベトナム人だと思っていた

↑ この移動中に出会った人々


もしかしたら旅行中の中国人だったのかも?

そのワケは後日。



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ホーチミンからダラットへの300Kくらいの道中


ちょっとだけボロボロのバスに乗っての移動は続きます

さて 前回の続き

なぁんにもない野原で休憩をして ダラットへ向けて

いざ出発。(100Kに1回くらい休憩あり)


気温は30度くらい 

もちろんバスには エアコンなどありません







窓を全開にしたところで 入ってくるのは

生暖かい空気と 砂埃 

罰ゲームのようなバスの旅です


少し前に載せた写真

バス出発間際の様子







周囲にはなぁんにもないのに バスの前にとまる自転車2台

日本人を見つけて 嬉しそうにカメラ目線の現地人二人


どんなに目を凝らして見ても 茶色と緑の原っぱしか見えない。

建物すら見えない。 

ほんとに なぁんにもないのに 今からどこへ行くのかしら?







ベトナム戦争当時は 現地の人々の移動手段といえは自転車。


「自転車で1日30キロ 40キロは
      当たり前のように移動するんだよね~」



「ってことは 国境も越えたりするの?」 と聞くと


「さすがにそれはないよ」 だそうです

(でも 国境近くの人は自転車で当たり前のように越えている 
                 とか・・)




ホーチミンからダラットへのバスは ロシア製のバスでしたが

当時のベトナムは いろんなバスが走っています



ドアに 「自動扉」 と書いてあるバスが走っていた。



すごい! ベトナムにも自動扉のバスがあるんだ!!!


と思ったら大間違い。


日本で使えなくなったボロボロのバスを 

最新式のバス として使っているベトナム。


ボロボロでもさすが日本製

ちゃんとドアは自動で開いたんですって@@
(ロシア製のはそもそも自動扉じゃなかったそうです)








あ・・ 余談ですが

福山通運 (たぶん) 

と書いたトラックも走っていたそうです


おしまい。





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何もなかったけど 緑のケミカルな味の飲み物を飲んで


ホーチミン脱出。

移動に使ったのはこのバス。







おそらくロシア製と思われるバス

このバスでホーチミンからダラット (約300K)へまず移動

その後 ダナンまで お世話になります (1000K越え)







かなり距離を走っているんだろうな というのが分かるバスの運転席

ちなみに座席はリクライニングなどできるわけがなく

直角のかたーーい椅子で 1300Kを耐える事になります



当時のベトナムは バイクもまだほとんどなく
(バイクの代わりに自転車)

車もほとんどありませんが この時 ベトナムにあった空港といえば

タンソンニャット空港(ホーチミン)  ノイバイ空港(ハノイ)

ダナン空港 (ダナン) この3つのみ
(今は24個くらいあります)


飛行機で移動できないので その分 バス移動

街中ではほとんどみない車 バスも 移動中はいっぱい見たそうです


当時のベトナムは 「車は30年は乗る」 これがモットー

なので すれ違うバス 車はボロボロのが多い








↑  このバスもおそらく長距離移動中なのですが

荷物は屋根の上。 (雨期の時はどうするんだろう)

見るからにボロボロ


で 自分たちが乗っているバスは ボロ くらい


その ボロボロ寸前のバスでダラットに向かう



さて 休憩休憩~

何食べようか 

お土産に何を買おうか

その前に トイレトイレ!!!








でも


あれれ??


トイレは??  


「そんなもんあるわけがない」  (同居人)

女の人はどうしたんだろう。。

 「きっと草むらに隠れてトイレしてたはず と思う」



草むらでトイレすると 野生動物が後ろから唸りながら近づいてきて

慌てて逃げる



という話をよくききますが とってもサバイバル。


で サバイバルなトイレ休憩中にすれ違ったトラック


よーーーーーく見ると・・・・


荷台の材木の上から人が手を振っている


「この人 何してるの??」


「材木が落ちないように 見張っているの」


でも 材木が落ちたら  








この人も一緒に落ちると思う。


移動話 つづく。




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