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2012年に訪れた ベトナム ホーチミン ハノイの旅行記です 現地の人々 生活を写真と 文章で綴ります
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西日本に大量のベトナム難民が次々と漂着した1989年



その時に使った船は おそらく↓この写真の左下に写っているような

木製のボート 

これに乗れるだけ乗ってやってくる難民たち







この旅行記は同居人が1986年にベトナムに行った時のものですが

その数年前 ベトナム研究第一人者であり 同居人の恩師である

冨田健次から当時学生だった同居人が

鉄工所で働いているベトナム難民の通訳を
頼まれました


ベトナム人と日本人の意志疎通の橋渡しをしてほしいと。







その鉄工所には6人位のベトナム難民が実際に働いておられました


その時に実際の難民から聞いた話


ベトナムを出て 無事に日本に到着できるのは一部の人のみ

冬は寒くて海には出れない

となると 脱出時期は夏

この時期の東シナ海は台風が通過する時期と重なります


その台風に巻き込まれ 命を落とす人


日本を目指したものの 違う場所に到着してしまった船


船が無事にたどり着いたとしても おそらく病気や餓死で

すでに命を落としている人


脱出するときに ベトナムの軍や警察に見つかって

射殺される人



まさに命がけの脱出


余談ですが当時 姫路に難民センターがあり 日本に漂着した難民は
そこで日本語の研修を半年くらい受けて 就職先を探します
難民とはいえ 祖国ではいわゆる「インテリ」や「富裕層」
脱出するときに大金が必要になるので 難民=ほぼお金持ち
そういう彼らの所にくる求人は ほぼ単純労働
アメリカンドリームを夢見て日本にやってきた彼らのイメージとは
大きなズレがあったはず。



そんな話を実際のベトナム難民から聞いた数年後の1989年に

次から次へと大量のベトナム難民が日本にやってきました








そして そのベトナム難民 いわゆる「ボートピープル」の通訳を
(ボートピープル=旧南ベトナムからボートで逃げてきた人たち)

日本の某国営放送に勤める友達に依頼された同居人


長くなるので続く。




1986年 3月 ベトナム

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