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2012年に訪れた ベトナム ホーチミン ハノイの旅行記です 現地の人々 生活を写真と 文章で綴ります
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前回の拍手コメントのお返事です

ニャンコのボンちゃんのブログ そしてこちらのベトナム旅行記も
楽しんでくださってありがとうございます^^ 
そしてそして あのオープンすぎるトイレ どれだけ目を凝らしても
便座がない~ 私もめまいしてきました(-_-) どうやって使うのかなあ。。。




ホアロー収容所


今までたくさん戦争関係の博物館等の記事を書いてきましたが
ホアロー収容所 
ここが一番文字にするのに重い気持ちになったところです


詳しくご覧になりたい方は ホアロー収容所 1   2   






ハノイの街のど真ん中にあるホアロー収容所

19世紀末 フランスによってつくられ 

現在その3分の1が残っています



フランス支配に抵抗したベトナム人が捕えられ






拷問を受けたり

ギロチン台で処刑されたりしました


これは足かせ

↑ 上の写真のように 足首を輪の中に入れて

体が動けないようにするもの





これはトイレ

もちろんプライバシーなどありません





このギロチン台で1600人もの人が

命を落としたと言われています

生首の写真もありました





外は30度を超えているくらいのあついベトナムのはずが

ここ ホアロー収容所の中だけ

コンクリートの固い壁で冷たく感じられます





独房の間の通路の狭さ

そして 窓の小ささが重苦しさを増します

1993年に完全閉鎖されたホアロー収容所

つい20年ほど前までは 実際にここで人が呼吸をしていたのです

独房外の通路を歩いているだけでも 押しつぶされそうになる

重苦しいホアロー収容所





もともと工芸品を作る村だったのに

ベトナムの自由と独立を求めて戦ったベトナム人の多くが

フランスによって犠牲となった場所






2008年のアメリカ大統領選挙

共和党候補のジョン・マケイン氏も

5年あまり このホアロー収容所に収容されていたそうです





これは慰霊碑

犠牲となった人たちの名前が書かれています


まともな武器すらもたなかったと言われているベトナムは

フランス そして アメリカに勝利しました







一歩一歩の歩みがどんどん遅くなるくらい

ベトナム戦争時代の残酷さが ここホアロー収容所にはあります

目を背けたいものも 足を踏み入れたくないようなものもある

ホアロー収容所の真後ろにはハノイのランドマーク

ハノイタワーが建っています


ホアロー収容所 2時間くらい必要かな。

入場料は1人100円ほど (カメラ持ち込み代金は必要無し)

簡単なリーフレットは有料でした
(値段は忘れちゃいましたが 何十円とかそれくらい)





2012.9.29  ハノイ


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拍手[14回]

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19世紀末にフランスによってつくられたホアロー収容所

一番多い時には2000人くらい収容されていました

フランス統治時代には 学校よりも 監獄のほうが

多かったそうです



「海外に出るとイギリス人は公園と競馬場をつくり、

フランス人はオペラ座と監獄をつくる」

(参考文献)『建築のハノイ』p.15


と 本にも書かれているくらい。





通路は人が一人 通れるくらいの狭さ

コンクリートの重々しい壁

そして 鉄のドア 小さい窓

ここにいるだけで 息が詰まる そんな場所


ここには 死刑囚が収容されていました





このホアロー収容所は インドシナ戦争勝利後

ベトナム政府が刑務所として再利用していました

1964年夏から 1973年 3月末まで

撃墜されたアメリカ人パイロットを収容していました


アメリカ人によって 皮肉って

ハノイ ヒルトン

と呼ばれていた場所





ここは独房(刑罰房)

刑務所内で 規則違反をしたものを収容する場所

ホアロー刑務所の独房は 地獄の中の地獄 と呼ばれていました


独房に収容されている人は

アバラが出て その恐怖から瞳孔が開ききっており

極度の恐怖の中におられたことが伝わってきました

暗闇で10日間ほど閉じ込められたそうです





獄舎を出ると 中庭には

犠牲者を弔う慰霊碑があります






劣悪な環境に置かれ 多い時ではひと月に40人ほどの犠牲者が

出たと言われているホアロー収容所







2008年のアメリカ大統領選挙 

共和党候補のジョン・マケイン氏も


5年あまり このホアロー収容所に収容されていたそうです







これは犠牲者の名前でしょうか

10枚くらい名前の書かれたプレートが並んでいる部屋がありました


もともと工芸品をつくる村だったところに 

フランスがホアロー刑務所をつくり

ベトナムの自由と独立を求めて戦ったベトナム人の多くが

犠牲になった場所  


ホアロー収容所





1896年にフランスによってつくられ

1993年に完全閉鎖

1997年に一般公開開始


半分以上が取り壊され 残されたホアロー収容所の

真後ろには ハノイのランドマーク ハノイタワーが建っています



2012.9.29 ハノイ

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ベトナム軍事歴史博物館で 

重いものをずっしりと感じ取り


外を歩いていると


やっぱり いました


道端に 放し飼いの




ニワトリ

そう ここはベトナム


ニワトリが あっちこっちにいて

突然 ジャンプ?されると かなりビックリ。


フランスと中国のテイストが混ざり合った建物が

多いベトナムですが 

この建物の アイアンの窓の柵とか

重厚感のある木のドア そして壁の色





長い間 いろんな国と闘っていたベトナムですが

こんな素敵な建物を見てると さっきの重い気持ちが

吹っ飛んでいきます


これは中央病院

やっぱり素敵なデザイン





こんな建物を見ながらリフレッシュし

次に向かったのは ホアロー収容所


ハノイの街のど真ん中にあるホアロー収容所


19世紀末 フランスによって作られ

現在 その3分の1が残っています





フランス支配に抵抗するベトナム人が捕えられ

拷問されたり ギロチン台で処刑されました





↑ これは 足かせ

冷たいコンクリートに座り

動けないように 足首を固定させるもの





これはトイレ

もちろんプライバシーなどの配慮は一切なし





そして こちらがギロチン (断頭台)


生首の写真も展示されていました







このギロチン台で 1600人もの人が

命を落としたと言われています





このギロチンで 死刑執行前に 

ある死刑人が言い残した言葉があります



「国を奪われた私たちと侵略者であるあなたたちとの
 生死を賭けた闘いにおいては、 私たちのような
 犠牲は当然である。 しかし
 必ず、私たちは、勝利する。」


実際 まともな武器すらあまり持っていなかったと言われてる

ベトナムは フランス そしてアメリカに勝利しました



2012.9.29  ハノイ

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