2012年に訪れた ベトナム
ホーチミン ハノイの旅行記です
現地の人々 生活を写真と
文章で綴ります
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なんにもないホーチミンを脱出して
メコンデルタのミートーへ
(日本では ミトーと言いますが 正しくはミートー)
↓ このバスに乗って移動 時間は約2、3時間
道はちゃんと舗装されていました
今までの写真同様 あちこちカメラを向けると
ちゃっかり写りこむ現地人たち。
余談ですがアフリカならこの時代カメラを向けられると
魂が抜かれるとか言われてたとか??
写真をもらえるわけでもないのに 自分の胸をたたいて
「撮って 撮って」
と 猛アピール
で こんな写真がいっぱいあるそうです
ここはミートーの 「ベトナム祖国戦線」の 建物
ベトナムの大衆組織
ベトナム共産党の指導を末端まで浸透させるための組織
学生の頃 その組織の研究をしていたので
ちょっと見に行ったそうです
(中には入らなかった 建物を見ただけ)
この日の目的はメコンデルタのジャングル探検
このお家はメコンデルタにある現地人の家
(住人が手 振ってくれています)
メコンデルタ=いわゆるジャングル
ジャングルはなんにもないので その前に
人間用のガソリン補給ということで
とりあえず ビールビールビール!!
でも この時代のベトナムのビールは何種類かありましたが
みんなビン入り。
その中で唯一 雑菌が含まれていないのが 33(バーミバー)
(王冠の技術が未熟なので 他のはみんなとっても危ない)
そのバーミバー 33は 現在では 333 バーバーバー
味は同じだったそうです
で バーミバーをいっぱい飲んで いざ
ジャングル地帯 メコンデルタへ!!!
続く
1986年 3月 ベトナム
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今のホーチミンといえば
街中を歩いていると
シャネル の横に
カルティエ
そして ハードロックカフェの前には
赤い毛のハード系?の おんなの人
そして
サブウェイまであるのですが
当時のホーチミンで案内された場所は
学校
(授業中の様子を見せてもらった時の写真)
みんな笑顔で突然の訪問者(日本人)を見送ってくれています
そして
孤児院
人懐っこい笑顔がとっても印象的だったそうです
この子たちに年齢を聞いたら
だいたい10歳くらい。
でも見た目よりも体がとても小さくって
表情もとっても幼くみえました。
今 この子たちは40歳くらい
居心地のよい環境で過ごしていますように。。。
当時はベトナム戦争が終わってまだ10年
あっちこっちに戦争の爪痕が残っていて
観光に行けるような場所などなく
人が集まりそうな公園もあるにはあるのですが
木が生えているだけの広場のような感じ
何もない。
何もないけれど 街中に出ると 今ほどではありませんが
どこかへ向かって走っている自転車に乗ってるベトナム人たち
そして その頭上の至る所には
「自由と独立ほど尊いものはない」
という ホーチミンの有名な言葉を書いた横断幕が掲げられています
ベトナム語でいうと
Khong co gi qui hon doc lap tu do.
これを
Khong co gi
ここで区切ると まさに
「何もない」
という意味。
英語での表現のほうが分かりやすいかな。
There is nothing more precious
than independence and freedom.
↓
何もない = Khong co gi
で ホーチミンの言うことは正しかった・・・・
と ツアーで同行している人たちと話しながら
なぁんにもないホーチミンの旅は続きます
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今のベトナム といえば ホンダ=バイク
夜のベトナムを歩いていると 大量のバイクが街中を
ブンブン走っています
何をしているのかというと
涼
を とっているそうです
冷蔵庫すらあまり普及していないベトナム
エアコンなど あるわけがなく 同居人曰く
「夜 枕を持って一番涼しい場所を探して ウロウロする」
そうです
でも 1986年のベトナムといえば 自転車
自転車といえば 人力
こいだら暑い。
いったい何をしているんだろうね
仕事しているのかな?
そんな会話をしながら 大量の自転車を眺める
その自転車も時には仕事の大事なパートナー
そう シクロ
シクロの運転手さんがお客を呼ぶ時 こう言います
「オイ」
おい????
ちょっとドキっとしますが 大丈夫
ちゃんとしたベトナム語だそうです
(日本語だと オイ=ねーねー そんな感じ)
で オイ!と 呼び止められた同居人
乗りました。
言われた値段は
「はっきり覚えていないの 」
だそうですが どうもぼったくられそうになったらしく
その値段を聞いていた その辺を歩いていたベトナム人が
寄ってたかって シクロの運転手さんに
「高い!! 高い!! ぼったくり価格だ!!!」
と 注意してくれたそうです
そこがベトナムの優しいところかな~
で 安心価格でシクロを堪能した同居人
このシクロ 当時はバイクのシクロがあったらしく(数台見たそう)
バイクといえば ブイブイ走る = とっても危ない
ブイブイのバイクの前に お客が乗るスペースがある
当たる時は お客が先
日本を出発する前 ベトナム研究第一人者の
冨田先生から言われた
絶対やってはいけないこと その1
バイクシクロには乗らない
だったそうです
おしまい
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さて 実際のベトナムの旅が始まります
大阪 伊丹空港をキャセイパシフィックに乗って 離陸
2、3時間乗って 香港へ そこからまたキャセイで
バンコクに。 ここで1泊(乗換便がないから)
次の日の朝バンコクからエールフランスで ベトナムはホーチミンの
タンソンニャット空港に着陸
今なら 大阪から4時間くらいのフライトで
タンソンニャット空港につけますが
(東京からだと 6時間くらい)
当時は 26時間くらいの長旅。
やっとのことで ホーチミンに到着
すでにお疲れの日本人を待っていてくれたのが
このバスと日本語を話す男の現地人のガイドさん
(このガイドさんがダナンまで同行)
タンソンニャット空港から 人民委員会前のホテル
(おそらくコンチネンタル)まで
だいたい30分(約8キロ)
この短い間に バス 故障
どうなるのやら???と思っていたら ドライバーが外に出て
バスの前で何やらゴチョゴチョしていたそう。
心配していた日本人達に ベトナム人ガイドさんがニヤニヤしながら
「ベ ト ナ ム だ か ら ゆ る し て く だ さ い」
と 一言。
ドライバーがゴチョゴチョしてくれたおかげで
バスは10分くらいで直り
再びホテルに向けて出発。
これは有名な人民委員会をホテルから撮った写真
植え込みなどは 今とほぼ同じ
綺麗に整えられた広場
でもでも
あれれ??
人民委員会の前にいらっしゃる
有名な ホーおじさんが
2012年にはいたホーおじさんが
1986年には いませんでした
で このホテルにつく前にちょっとバスを停めて30分ほど自由行動
楽しく街歩きを終えてバスに戻ると バスがいない
ベトナム語が分かるとはいえ 初めての海外 なのに
バスがいない
必死に探すと 角を曲がったところにバスがいた
で 青ざめた顔でバスに乗ると 現地ガイドが
「バ ス が い ど う し ま し た」
で 済んじゃうベトナム(勝手に移動しないでほしいの)
ホーおじさんも バスもいないベトナムの旅 続く
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