2012年に訪れた ベトナム
ホーチミン ハノイの旅行記です
現地の人々 生活を写真と
文章で綴ります
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ベトナムの国土の形を見てお気づきの方のいらっしゃると思いますが
ベトナムはよく 「龍の国」 と言われます
たとえば ハロン湾のハロンとは
龍が降りる という意味
(龍の親子が中国の攻撃からベトナムを守って 吐き出した宝石が
ハロン湾の奇石になったという伝説が残っています)
ハノイは李朝時代 タンロン(昇竜)と呼ばれ その後
黎朝時代には 東京(トンキン)と呼ばれていました
中国文化の影響で 歴史的な建物の屋根の中央には
2匹の龍の彫刻が並んでいます
建物によっては 名古屋城のシャチホコの位置にのみ龍があったり。
長い間 中国の影響を受けていたベトナムですが
1986年に始まったドイモイ政策によって
(この旅行記の写真はまさに1986年 ベトナムで撮ったもの)
急激な経済成長を遂げることになります
そして その一端がハノイ郊外を走るバスの窓から何気なく撮った
一枚の写真に現れています
当時のベトナムには似つかわしくないクレーンの下で
おそらく集合住宅らしき建物が建設されています
↓ この写真は2012年にハノイを訪れた時の写真ですが
たった30年でこれほどの発展を遂げようとは
当時は思いもよらないことでした
私たちの1年と ベトナムの1年は
時の流れの速さが違うということを感じさせられた
そんな写真の数々でした。
1986年 3月 ベトナム
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1986年当時のハノイ周辺の観光といえば
ホーチミン廟 歴史関係の博物館 ホアンキエム湖
この写真はホアンキエム湖の真ん中にある 玉山神社
そして忘れてならないハロン湾
ハロン湾が世界遺産に登録されたのは1994年
このベトナム旅行記のハノイ旅行は1986年なので
まだ世界遺産ではなく ただの観光地でした。
不思議なことにハロン湾の写真が一枚も残っていません
たぶん 写真撮影禁止 だったのかなあ
(当時のベトナムは 橋と空港は撮影禁止)
写真が出回ると観光客が来なくなるから??? とか??
ということでハロン湾の写真がないので
代わりにハノイから山の方に住んでいる少数民族の
お家の写真をどうぞ。
ここで何を話したのか 全然覚えていないとのことなので
ハロン湾の話に戻します。
ハロン湾に着く前に 日本人の添乗員さんに注意されたこと
・しつこい物売りのボートが来るので 要らないものははっきり
要らない と断る
似たようなボートはバンコクでもベトナム南部でも見てきた
何がしつこいかって 近寄ってきたボートが
自分のボートに我々のボートをロープでくくりつけた。
もう逃げられない。 そんな感じ。
(何を売っていたのかもサッパリ忘れたそうですが
しつこかったことだけは 覚えている)
いろいろしつこく 「あれはどう?これはどう?」と聞いてくるけど
注意されているので 誰もなぁんにも買わない。
でも このままではロープは決してほどかれる気配がなかったので
ツアーメンバーの一人が何か買ってあげて
やっとロープがほどかれて 解放されたのでした ホっ
(2012年にベトナムに行ったときは しつこいどころか
さっぱりあっさりしていたので しつこいのは時代のせいか
場所のせいか どっちなのかな~)
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当時のハノイには路面電車が走っていました
この写真を撮ったのは1986年ですが 約2年後
路面電車は廃止されました
↓ この写真はホアンキエムコの横にあった
路面電車の駅 (緑の屋根が駅)
辺りを散歩していると またまた来ました ハノイの子たち
胸をたたいて
「撮って撮って!」
と 猛アピール
記念写真よろしく整列した子どもたちの周りを
さらに小さな男の子が一人
「しゃしんってなぁに? とるってどーするの?」
って言いながら 走りまわている
何年かすると この小さな男の子も胸をたたいて
「撮って!撮って!!」とアピールするようになるのかな。
こちらも子どもたちの写真ですが(ハノイとは別の場所)
赤いスカーフをしている子がチラホラ
これは ベトナム共産党公認の優等生
この子たちは珍しい外国人を遠巻きに恥ずかしそうに見ているだけ
「おまえが行けよ」 状態。
ハノイの子どもたちの写真は
だぁれもスカーフを巻いていませんでしたが
自分でアピールするような子たちよりもシャイな子たちのほうが
ベトナムでは優等生になりやすいのかなあ と思った一枚でした
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当時のベトナム(1986年)は 外国人が訪れることがまだまだ
珍しい時代。
現在も当時も ホーチミンの人のは外国人を見ると近づいてきますが
ハノイは遠巻きに見ている程度。
でも子どもは好奇心が旺盛。
場所 時代関係なく やってきてくれます
子ども同士話しているところに 近づいていって
ベトナム語で話しかけると まずびっくりされる。
この時のツアーのメンバーは 日本人の添乗員さん以外
みんなベトナム語はペラペラ
外国人自体珍しいのに ベトナム語を話す外国人だったので
子どもたちがとっても驚くのも納得。
もともと人懐っこいのか 慣れてくると
その辺に座り込んでの井戸端会議が始まります
なんだか かなり前から仲良し そんな雰囲気漂う一枚
さらに話が盛り上がると 肩を組んでの記念撮影
ベトナム人の気質=南のホーチミンはとってもオープン
北のハノイは一見無愛想ですが 一度仲良くなると
ながーくお付き合いができる
そんなベトナム人の気質がよくわかる懐かしい子どもたちとの
記念撮影となりました。
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現在のホーチミンといえば
ハードロックカフェやら
シャネルやら お店の前だけを見ていると銀座っぽい場所もあり
統一会堂にも自由に入れますが
1986年のベトナムは 統一会堂 という名前すらなく
「旧大統領府」 という名前がついていて
入ることができませんでした
なので ホーチミンで見るものといえば ベンタイン市場くらい。
なんにもないのに 人だけはいっぱいいるホーチミン
それとは違い 1986年のハノイは人は町にはいないけれど
さすが 首都というだけあって 博物館はいくつかあり
見学OK
そのうちの一つが ホアロー収容所
ホアロー収容所といえば 当時のフランス支配に抵抗する
ベトナム人が拷問され ギロチンにかけられた忌まわしい場所
(2012年に訪れた時には このギロチンの横には
切られた首の写真が実際に飾ってありました)
それと 30年ほどの前の話なので
ちょっと記憶があいまいですが ↓ ベトナム戦争よりも
もっと前の植民地時代の歴史などが展示された博物館くらい。
ちなみにこの写真は その博物館で撮った 抗仏戦争時代の
ベトナム共産党の活動拠点を示す地図です。
さて1986年の旅行は 南のホーチミンからベトナムに入り
バスで真ん中あたりのダナンまで移動
そのあと 飛行機でハノイ入り。
で ベトナム語を習ったときに フォー は うどん
と教えられた。 でも ホーチミンで食べたうどんは
いわゆる おそうめん のような細さ。 ↓ これ
(2012年のものですが)
フォーって おそうめんみたいなんだー と思いながら北上し
ハノイで やっと うどんのような太さのフォーに出会いました
思い返してみると ホーチミンからダナンまで
ちょっとずつちょっとずつですが
フォーが太くなっていたような気がした
ホントカナ?
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